回想 2004年
卒業論文
2004年1月 vol.11

卒論一色の1か月だった。研究室に泊まり込んだ記憶は無いけど、教授のモノマネしてみたり、お菓子のパッケージをみてどうでもいいことで笑いながらやってたことは思い出す。最後の最後、卒論の付録としてプログラムのソースを印刷してる時のイメージもなんとなく残っている。紙としては持っていないが、CD-Rに保存してあったのを久しぶりに開く。本編はwordで34頁約2.5MB、それとは別に今では動かないGISのWEBアプリが500MB程ある。今の仕事と関連しつつも直接はつながらなかったこの時の苦労を、教授は不撓不屈と評価してくれた。

@ 2024.01.29
卒業旅行
2004年2月 vol.12

卒論提出後、卒研最終発表で大忙しの2月前半。後半は何の前触れもなく唐突に九州卒業旅行がはじまって日記の更新も途絶えている。今はなくなっているが川崎浮島から日向細島行きのフェリーから旅がはじまっていて、日記で語らないだけで当然旅の事前準備もしっかり行っている。当時はここにいます通信など別コンテンツがあったため旅行中の内容は日記として書き残していないのがもったいなくもある。前年6月、国道1号線2号線を辿って行った北九州の続きとして九州各県を巡る約2週間の大型旅。当然、20年前もうるう年。

@ 2024.02.29
大学卒業
2004年3月 vol.13

月跨ぎの卒業旅行から戻って、3月25日に大学の卒業式があった。卒業証書に書かれていた番号がこの日の日記のタイトルになっていて、309回目の日記というのも偶然だ。式で挨拶した学長は「人と違うことを恐れてはいけない」と言い、それが20年後でも心に残っているし、実際そういう人生を歩んでこれたと思う。内定もらえないまま大学を出たけど、今や一応大企業で管理職やってるのも、こうした言葉に勇気をもらえたおかげと思う。今また人生の節目で引っ越しの最中だけど、そういえば卒業証書を入れた筒が無い、実家にあるのかな。

@ 2024.03.25
やむを得ずフリーター
2004年4月 vol.14

内定を掴めないまま卒業を迎えて、やむを得ずフリーターとして社会に出ることになった。在学中からのバイト先で雇用形態をフルタイムのパート準社員に転換してもらったので、改めての就職活動も無収入期間も無かったのはありがたかった。そんなわけで家も勤務先も変わらない静かな春だったけど、レジとか発注とか初めて経験することはあって生活は変わっていく。やっても出来なかった時間給のフリーターが、やれば出来ると目の前の仕事に時間を犠牲にして挑戦する。 今となっては労務管理上問題あるなって見方をしちゃうけど、やむを得ない。

@ 2024.04.29
初任給
2004年5月 vol.15

生活の中心が仕事になったけど、準社員生活2か月目ではまだまだリズムが掴めず、平日休みの使い方が定まらない。休みごとに旅に出るほど稼ぎも無いし、いつも高校野球やってるわけじゃないし、テレビで遠くのF1を観てるのが安楽な趣味だけど、それもまた放送時間帯が遅いから疲れて観れなかったりする。ちなみにバイト時代から今まで給与明細は全て記録していまして、準初任給と表現していた社会人初の給与額は、手取りで約15万円でした。15日締め25日払いのため初任給を5月としています。学生時代の仕送りは月10万円でした。

@ 2024.05.31
エプロン時々はんてん
2004年6月 vol.16

「OLÁ! VITÓRIA!」を聴きながら書いていますが、日記を読んでも1つ1つの出来事のほとんどは思い出すこともできず、一時の感情のどうでもよさと記録することの貴重さの両方を感じています。どの職場でどの立場でどんな仕事をしてたかという全体象は当然覚えているけど、それが全くの日常になったことを示しているのかもしれません。6月になってエリアマネージャーという人が登場します、確かにそんな人がいたのですが、今の自分の役職名がまさにそれなのでステキと思ってもらえるように頑張りたいと思います。嫌なことも言わなくちゃいけないけれど。

@ 2024.06.23
早くも面接官
2004年7月 vol.17

自分の担当はバイト時代からの「早朝品出し」に、4月から受け持った歯ブラシ・ボディソープなどの「ボディケア」売り場、それに7月に追加されたダンケと呼ばれていた「男性化粧品」売り場の3つ。時間帯によってはレジもしてたけど、面接官までやっていたとは覚えてなかった。仕事は違えど今でも採用活動はやっていて今月も4人と面接をした。人手不足で最低賃金も徐々にあがってきて、科学技術も向上してる今とは社会環境が違うはずだけど、人の能力や仕事への向き合い方は多様であって、そこに振り回されてしまう構造は変わらないなと思う。

@ 2024.07.27
シフト管理者
2004年8月 vol.18

高松でのはじめての夏は毎日が暑くて出かける気力も削がれるほどだけど、社会人1年目の夏は仕事でずいぶん病んでいた。品出しに限っては2001年11月から2年半ほどのバイト経験があるにしろ、フルタイムになってまだ4か月でなにやらいろいろと負担がかかっている。今にして思えばバイトのシフト管理なんてその名の通り本来は管理職の仕事でしょうし、労務管理上の注意点など全く知識がなかったはず。自分の立場と仕事内容のアンマッチを感じとってか、替わったばかりの店長にすらあからさまな不満を露わにしている。まつりどころじゃない。

@ 2024.08.25
2文字縛り
2004年9月 vol.19

「敬老の日」でやめちゃっているけど、この月の日記タイトルを2文字縛りにして書いていたのは明らかだ。SNS全盛の今と違って先駆けのmixiが登場して間もないこの頃、ホームページのメインコンテンツはまだ日記であった。それ自体がサービスになったブログの普及もこの頃だろう。とはいえ、だらだらと長い文章を読むのも書くのも痛いので、自分は本文にも制限をかけて短くまとめるよう書いていて、それが今でも続いている。余裕が無いのは嫌だけど、自由が過ぎても忙しくなるもので、程よく縛るのがよろしいが、締め過ぎても苦しくて、たまに遊んでいる。

@ 2024.09.30
崩れた路線
2004年10月 vol.20

今となっては震度5弱程度と思うが、何事も初体験は大きな揺れを伴う。この翌年開業するつくばエクスプレスへの就職を期待していたが、応募条件を満たせず道が崩れたのがこの月。去年の新卒採用は駅務員のみで運転手採用は来年との記載があったから密かに待っていたけど、1年以上の正社員経験が前提になってて門前払いだった。今回は忙しくて11月になって母が倒れたあとで書いているが、自分の初健診が高血圧・高血糖とかも笑えない。その後に改善するとはいえ、不平不満を隠せないほどストレスを感じる日常では体に悪影響だ。

@ 2024.11.10
現金な生活
2004年11月 vol.21

今年7月に発行された新紙幣のうち5000円札は未だに手にしてないが、20年前の旧紙幣はわずか3日目で目にしている。ドラッグストアでのレジ勤務だったとはいえ、当時は電子マネーもクレジットも取り扱っておらず現金払いが当たり前だったので流通が早い。今やその金融系も含めて楽天のサービスにどっぷり浸かっているけど、レンタルサーバにインフォシークを使ってたことはすっかり忘れていた。そこへユニライフってタイトルをアップしたのは勇気が要ったと思うけど、中身はいたって日常だ。それよりグローブをもらったことは野球参入に大きな一歩だった。

@ 2024.11.30
はじめてのボーナス
2004年12月 vol.22

20年前にもらったはじめてのボーナスは、今のちょうど20分の1だった。当時使おうと思って使いきれなかったそのお金は、先に対する不安のために残すという選択をしている。ただ、もらったグローブで早速キャッチボールをしていたり、高校の友達と鍋したり、公私交えた職場の忘年会があったり、割とコンパクトに充実した年末を過ごしているように見える。お金があれば選択の幅が広がるのは間違いないが、少なかろうが幸せの形がその時々で違うだけのこと。経済的に自立して先の不安よりも今日の充実に使える今だって別に20倍幸せなわけじゃない。

@ 2024.12.22