台風21号から変わった温帯低気圧と前線の影響でお昼を中心に強い雨が降った。雨上がりに瀬戸内海を渡ると、この先に晴れ間が期待できた。吉備SAで降りてすぐの備前国一宮「吉備津彦神社」は岡山市北区にある。またすぐ近くに備中国一宮「吉備津神社」があって国宝の本殿や回廊が有名だ。次は備後一宮を目指すところなのだが距離感を見誤って夜遅くなってしまったので諦めてホテルにチェックイン。今年も一宮神社に行くと「おかえりなさい」と声をかけてもらい嬉しく、奉納ベッチャー太鼓を観て、片づけを少し手伝わせてもらった。
言われた時間に御旅所に着くともう祭りがはじまろうとしていた。一昨日は経験ないぐらいの大雨の中で宮出があって大変だったと口々に聞いたが、今日は祭り日和だ。注文してしまった名前刺繍入りのマイ法被を羽織って、みなさんの輪に入らせてもらっていることが今の幸せ。神輿を担ぐのは二の次で良いんだけど、誘われるように何度か入った。日が暮れてクライマックスの宮入前に急階段を神輿が昇り降りする。去年は階段下で待機していたが今回はロープで引っ張らせてもらった。最後は厳かな神事とお疲れ様の直会で夜が更けていった。
昨日と同じぐらいの時間でチェックアウトして、因島からフェリーで生名島に渡った。愛媛県上島町は離島自治体で現在4島が橋で繋がっていてゆめしま海道と呼ばれている。東から弓削島、佐島、生名島、岩城島で、この順番でほとんど事前情報無しの行き当たりばったり旅をスタート。特に久司山、立石山、積善山からの展望がそれぞれ素晴らしかった。名物レモンポーク丼を食べる機を逃したが岩城島からフェリーで生口島に渡るまでおよそ6時間滞在した。しまなみ海道を通って今治で降り、57番札所栄福寺に参拝し、東予丹原から帰宅。
勤務時間をずらすスライドワークを使って1時間前倒しで勤務した。管理職なのでこのあたりの時間概念はあまり縛られていないけど、短くなる方向には気を使う。16時半で退社して一時帰宅、マイカーで再び職場に戻り定時上がりのKさんを乗せて東かがわ市に向かった。出張で来ていた高知のMさんを労うのが目的で、三本松の居酒屋で2時間ほど飲んだ。曜日も曜日で静かな商店街、飲食店とは思えない民家のような入口、他に客もおらずお世辞にも良いとは言えない接客に不安になる3人だったが、料理はおいしく量もあって満足できた。
そろそろ帰ろうと思ってスマホを手に取ると、50分ほど前に父から電話があった。すぐかけ直したが「こちらから折り返す」のひと言とともに切れた。何か良くないことが起きている不安を抱えながらも、帰宅途中で買物をしていると兄からメッセがあり母が「救急車で運ばれて入院する」という一報を共有してもらった。帰宅して夕飯も食べ終わった頃に父から電話があり「脳出血で倒れて集中治療室に入り面会謝絶」との連絡。質問を返して、意識があり会話できることと手術はせず薬で止血することまでは分かった。米ではトランプ氏が大統領になるようだ。
とりあえず最悪の事態にはならなそうなのでいつも通りに出勤し、母の件は直属の上司にのみお伝えして通常の仕事をする。普段は音も止めているスマホの通知を、ちょこちょこ気にしながらで仕事の効率も下がるが仕方ないだろう。入院手続きで病院に行った妹から「手を振っていた」と連絡をもらい少し安心できた。そもそも高血圧なのに薬を飲んでおらず、今回高血圧性脳出血に至ったのは笑えないけど母らしいなとは思う。黒電話をいつまでも大事にしたり、エアコン嫌いだし、化粧も染髪もしない自然体の生活、それを良しとする心が自分にもある。
今朝いつも通りの時間に起きたが、熱が37.9度あって咳き込みもひどいので仕事を休んだ。母の苦しみのいくらかでも引き受けられたのなら良かったのだけど、その前から調子悪さは感じていた。先月の土曜出勤以降仕事では出張の連続、プライベートでは帰省を含む3週連続祭り体験と参加、結果的に4度も四国を出ていて自宅でゆっくり休む時間は本当に無かった。充足していたけど疲れていて、お祭り騒ぎが終わって緊張が解けたのかもしれない。それでも立ち止まらずに次なる体験を期待している。母は集中治療室から一般病室に移った。
一般病室に移ったところで病院自体が面会を禁止しているそうなので母を見舞うことは出来ない。遠くにいて回復を祈ることしかできないが、体調不良の自分は今日も大半を寝て過ごした。熱も36度台に下がったので、夕方には買物してきた。9月に道の駅で買った3キロの新米が無くなって、今日から九州のKさんに思わずもらった10キロの新米を口にする。米不足だったのにありがたいことにしばらくは充足している。夜、四国で大規模停電発生のプッシュ通知。高松は停電せず影響を受けなかったけど一体何が起きたのか分からないまま復旧した。
今日もおとなしく家にいたが、架線トラブルがあって朝から瀬戸大橋線が止まっているとのニュース。外とのアクセス手段は多々あれど鉄道はここしかないし、昨日の大規模停電も本州との送電線トラブルだというし、いざという時には島ということがネックになる。風邪ひいた時のひょっこり喘息で咳と痰がなかなか止まらない中、たまっていた先月20日以降の自分地プロジェクトを進めていたら、あっという間に1日が過ぎてしまった。 夜は雨、明日からまた気温上がる予報だけど、最低気温は1桁台に下がる日が出てきたのでこたつの用意だけしておいた。
首班指名選挙により自民党の石破総理が選ばれ少数与党としての続投が決まった。自公連立は過半数割れているのに、自民党政治を終わらせると言っていた野党は連携せず、立憲民主党野田党首との決選投票にもそれぞれの党がそれぞれの党首に投票するなどした結果がこれだ。自分も白紙投票したことあるけど、対象外の名前を書いたことはなく、結果は同じとしても投票によって選ばれた国会議員が無効票投じるって根本的な矛盾を感じなくもない。まあ衆院選の投票率は53.85%、指名選挙有効率82%、代表が代表じゃない。
長袖シャツに薄手のウィンドジャケットで自転車走らせると汗ばんで、通勤直後は腕まくりしている。水筒の中身は温かいお茶で、三好市の山城茶が終わって今はまた三豊市の高瀬茶を淹れている。お茶を淹れる時には単品の茶こしを使ってきたけど、今月から急須でしっかり出すようになった。転勤時に兄から要るものあるかと問われていたのを今月誕生日に改めて聞かれて、リクエストして送ってもらった。濃い味になってさらにおいしくなった。夕飯は買ってきたちぬの造り。ちぬ?っていうのはクロダイのことらしいが、そもそも食べたことなかったと思う。
母の状態について今日担当医師より説明があると聞いていたので報告を待っていたが、23時を過ぎてようやく父からメールが届いていた。気づかぬまま既に寝てしまっていて読んだのは翌朝だったが、あまりにも短く要領を得ないので質問メールで返したが、この日記を書いている15日現在回答はない。父も辛いだろうし言葉を選んでいるんだろうと解釈したいが、そもそも家族への配慮が悪気なく絶望的な性格だということをここまでの様々な言動を振り返ってようやく一歩引いて理解できた気がする。父の良かれは逆効果なので希望は伝えなきゃダメだ。
今日は先月19日の土曜出勤の振休で、愛媛県に行ってきた。Oさんのお母さんが痴呆徘徊で月曜から行方不明になっていて非常に心配な状況になっており、微力ながら捜索に参加してきた。Oさんの気になるところをひとつひとつ回ってつぶしていくが手がかりすら見つからない。Oさんに寄り添いつつも、入院している母に対して何もできない自分の気持ちを振り向けた行動と言われても否定はしない。日没を迎えて止む無く帰宅する。その後、Oさんの元に近所の方から目撃情報が寄せられたそうだ。明日は雨予報だ、その前に見つかればよいのだが。
今月23日の土曜出勤の振休で今日も休み。つまり昨日から意図的に4連休にしていた。バースデイきっぷというのがあって、誕生月の連続する3日間にJR四国と土佐くろしお鉄道の全線で特急乗り放題というおトクな切符だ。先月30日の博多行きの際に14日を使用開始日として既に購入していたが、母が倒れて自分も風邪を引き、Oさんの件もあってそういう状況ではなくなった。今日明日と天気にも恵まれない。休みとはいえ上長の意もあって素人捜索は昨日だけ、今日は沈んだ気持ちの整理をつけるようにまたほとんどを寝て過ごした。
高松駅でバースデイきっぷを払い戻した。発券時の案内券に未使用で有効期間内に限り手数料660円で払い戻し可能なことが書かれていたのだが、みどりの窓口の方もこのルールを把握していなかったらしく、開始日14日ですよね?といいながら一旦後ろの部屋に下がって確認していた。その後、一般道を70キロ2時間ほどかけて向かったお店がHPの記載に反して閉まっていて唖然、先日も19時までと書いてあったお店が18時で閉まっていたことがあって、時間と距離を無駄にされたことへの憤りと虚しさを感じた。67番札所大興寺で祈った。
天気も悪く思わぬ形になった4連休にちょっと無気力で、ラジオの聴き逃しを聞きながら部屋の整理をしていた。いつもならすぐ片づけてるのに3か月近く放置してるものもあった。番組は「山カフェ」のあと「子ども科学電話相談」を聴いていた。天文宇宙スペシャル回に山崎直子さんが出演していて、宇宙飛行士になるために今のうちにした方がいいことという質問に「迷ったら失敗を恐れずワクワクする方を選ぶ」と答えた。自分は逆に子供の頃はできず大人になって出来るようになった。昨日、道の駅滝宮で香川県産フェイジョアを買った。はじめて食べた。
今月から受講開始の通信教育のテキストを読みながら、高速バスで松山出張。昼間は暖かいが朝晩は冷えるようになってきたので、羽織るようになったばかりの薄手のウィンドジャケットではもう寒くて、アウターはもう郡山での真冬と同じ黒のハードシェル、あとは中に足していくだけだ。Oさんはお母さんが行方不明のまま約1週間ぶり出社されて、たまった業務などを進めてくれていた。昨日、一昨日と大人数での捜索が入ったようだが手がかりはなく心境は計り知れない。終業時間にはもう外は真っ暗で、これが寒さを凌ぐ覆いであればいいのだが。
創業記念行事のため通常勤務は無く、事業所内でモルックというスポーツをした。数字の書かれた木の棒を同じく木の棒を投げて倒して点数を競うものだが、ペットボトルで代用したオリジナルルールで実行。簡単そうで難しく予想以上の盛り上がりを見せて好評のうちに終わった。用意してもらったお弁当を食べて解散、午後時間ができたので70番札所本山寺に参拝。母が個室から大部屋に移り、この先転院予定のリハビリ病院を選定したという連絡が妹から入った。結局父からのメール返信はないままで、それはそれで会話が成立せず不安を残す。
季節的にも夜部屋干しの限界で、最近活用している洗濯のタイマー予約で朝干し。土曜だが工事の立ち合いで出勤、既に到着していた業者さんを案内して、工事自体は午前中の2時間ほどで終わった。あとは帰っていいのだが、先週金曜日を振休にしちゃってるので定時まで仕事をしなければならない。その振休を利用して立てた旅行計画が実を結ばなかったのでネガティブな勤務時間ではあったものの、ひとりで黙々と仕事が出来たので捗った。郡山では干したまま外出できなかったけど、雨少なく風も穏やかで安心して干せる高松ありがたい。
11月にちなみ11番札所藤井寺(吉野川市)に参拝した。紅葉感のある阿讃山脈を越え、国道318号で吉野川を渡る。ここまで寺の無料駐車場がある場合がほとんどだったけど、ここは初めて"有人の"有料駐車場にとめる。この人は毎日のようにここにいるのだろうか。県道125号で再び吉野川を渡り、三木町の高仙山627mにほとんど車で登った。山頂の公園施設は約10年前に休止したそうで立派な携帯電波塔は動いてるだろうがひっそりとして誰もいない。展望台からの景色も見えそうで見えないし、山頂展望は全くない。そんな単休。
松山より近いのに、バスでの高知出張は運行時間の都合で日帰り出張手当がつく。そのため事前の出張申請が必要で、却下されることは無いけど、自分が予定立てて自分が行くので自分の都合で手当てもらってるような気になってしまう。とはいえ必要だから行くと、駅前の三志士像が戻ってきていて、前見かけたときよりもなんだか色味がきつい。南国高知も冷える季節、バスの待ち時間が少しあるので土産物店で塩ケンピとオリーブオイル漬けのカツオスティックを買った。芋ケンピって土佐弁なの知らなかったし、カツオはツナサラダに足して食べた。
母がリハビリ病院に移った。倒れる前から足腰が弱くなって歩くのも辛くなっていたが、専門機関に診てもらうことで普通に歩けるまで回復したらいいなと楽観的希望を持っている。だけど「全ての生活動作に介助を要する」という現実に加えて、以前からなのか今回のことがきっかけになってしまったのか日付分からなかったり幻覚が見えたりといった認知機能の低下もあるらしい。今日の転院をもって面会可能とのことなので近いうちに行きたいと思っているが、現実に向き合うのが怖い気持ちもある。人生は待ったなしでトラブルに対処しなければならない。
穏やかな瀬戸内海式気候が洗濯に好都合だと書いたばかりで、今週は風もあってぐずついた天気が続いた。夜中に雷が鳴るような日もあって、冬型が強まると日本海側気候の影響を受けるのだなと思った。今日も風が強くて、1週間ぶりに洗濯をして外に干してみたけど飛ばされそうで落ち着かないので昼には取り込んだ。全国放送に2か月遅れてるとは知らずに見ていたアニメ「先輩はおとこのこ」も最終回(録画)。実感を伴って複雑な気持ちになりつつも、おじいちゃんが素敵だった。今月スタートの通信教育は最初のレポートを提出した。