カレンダー通り今日から連休に入る。去年まで2年連続で導入された計画有休が廃止されたので、昨日一昨日は仕事をした。有休奨励日ではあったので営業はほぼ全員が休んで9連休中だが、こっちは繁忙期で昨日は連休前ってこともありひとりで21時半までやっていた。忙しさが常態化するのは良くないが、個別の状況を無視して一律に休めという制度は、結果的に忙しさに拍車をかけて余裕を奪うので無くなって良かった。大事なのは仕事も休みも全力を注げることだ。そんなわけで今日は仕事を忘れてのんびり、掃除・洗濯等で過ごした。
飯舘村の野手上山(628m)に登った。GW中は高速道路の休日割引が適用されないので、そもそもが下道でアクセスする山を前提に、今月1日に避難指示が解除されたばかりの長泥地区にも近いので選んだ。駐車場からすぐの野手神山神社の鳥居をくぐって山頂まで約40分。犬を連れた年配の男性が1人、静かな山が好きで地形図に山とあると登りたくなるのだと語って下りていった。よく晴れて海が少し見える山頂を後に、新緑が明るいケヤキの森コースで戻る。温泉ではないが宿泊体験館きこりで入浴。道の駅までい館に寄って帰宅。
土日の天気が悪そうなので、今日も山行っとこうかなーっと考えてるうちにまどろんでしまった。夢うつつに揺れたような気がしたけど眠気が勝って、お昼も食べずに結局朝から夕方まで眠り込んでいた。能登で震度6強の地震があったことも発生から2時間近く経ってから知った。その後も余震が続いていて本当に怖いだろうなと思う。夜になってWHOが新型コロナウイルスに対しての緊急事態宣言の終了を発表した。ひとつの暗い時代が終わることを歓迎したいが、本当に世の中何が起こるか分からない。アマゾンのエンジェルフライトいいドラマだった。
予報では夜から雨で日中は明るい曇り。また朝から悩んでるうちにまどろみお昼も食べずに、やっぱり山に行く。市内の御舘山(524m)、鳥居をくぐってわずか5分ほどで山頂、展望は無い。これを登山と言っていいかわからないが、ちゃんと三角点も山名標も祠もあった。帰宅するとまた眠くなって寝た。イギリスでは70年ぶりの戴冠式が行われた。バッキンガム宮殿に集まった市民の列に王室が愛されてることが見える。既得権益への批判があることも分かるが、動かざる伝統の存在は大きいと思う。頂に冠を求めにいく自由はその上にあるのだから。
1日雨だった。プライムビデオで34年ぶりに復活した「風雲!たけし城」を見ながら自分地プロジェクト。34年ぶりということは自分まだ7歳で小2とかだったのに懐かしくて笑った。今はこういう番組見ないだろうけど、竜神池とジブラルタル海峡はちょっとやってみたいかも。どこぞのテーマパークにあってもよさそうなものだ。自分地プロジェクトはまだまだ一般道九州編、10年前の沖縄断念からの帰りで宮崎から大分まで北上してきた。懐かしさと記憶の無さと、そのまた9年前の卒業旅行のルートと交錯した。人生の大半は誰も知らない自分だけの道だ。
雨の残る朝、通勤はカッパ姿だが、家を出る時マスクをズボンのポケットに入れるのはやめた。新型コロナは今日から季節性インフルエンザと同等の5類感染症に引き下げられた。これを機としてマスクを外さなければいつ外すのか、自分の中に基準がないから1日マスクなしで通した。出社してみると契約社員のIさんを除いて職場ではみんなマスクをしたままだった。いつものパン屋も帰りのコンビニも店員はマスク姿だが、個人の判断なので別に誰も何も言わない。ウイルスがこの世からなくなる日は来ないので、カバンの中に1枚キープするのを日常にする。
福島勤務5回目は再び電車で、不特定多数で混み合う車内ではさすがにマスクをつけた。ここは自分にとって日常空間ではないし、車内放送では8日から全駅でドアの開閉をボタン式に戻した(換気レベルを下げた)と言っていたので、しばらく様子を見る。今日は帰りの電車に乗る前に、福島交通飯坂線に往復乗車してみた。福島県在住8年目にしてはじめて県内の鉄道が全線で運転中なので、今のうちに未乗車区間を塗りつぶそうという試みだ。片道約20分と短い路線で、終点の飯坂温泉は来たことあるし、街を少し散歩するだけで戻った。
五月晴れはどこへ行ったか、今週末もどんよりだ。連日帰宅が21時を過ぎる状況で、平日に休日を考える余裕もないから、晴天だとしても有効には使えなかったと思う。ただ電車内読書はしてて今は「数学的に話す技術・書く技術」(曽布川拓也、山本直人著)を読んでる。正直じっくりと数式と向き合ってるわけじゃなく難解な部分もあるけど、仕事で感じるイコールで会話出来ないもどかしさのほとんどは数学的思考の不一致が原因な気がしてはいる。精緻だけど抜くとこは抜くぐらいのバランスが欲しい。NHKで再放送中の「笑わない数学」好き。
自分地プロジェクトの一般道九州編は2019年イプシロン計画に突入した。長期休暇を取って旅行した最後の機会で記憶もまだ新しい。といっても既に4年以上前のことで、コロナを経て世の中も自分もずいぶんと変わってきた。今また同じような旅に出たいかというと違う気がしている。未来は明るいと希望を持って走れるほどもう若くなく、齢40を過ぎて後悔なく歩くにはより的を絞る勇気と覚悟が必要だと思う。その時々の自分が求める行き先が結果多様性になるのであって、制限ないなら例えマスクを外そうとも実際に動かなければ成らない。
土日を挟んで福島4連勤、大きな山場を越えられたので、連日夜遅くて大変だったけどホッとしている。最終日の今日は日和田から電車に乗ってみた。最寄駅を使うと郡山での乗り換えがあることで時間的制約が大きく、一昨日の帰りは1時間以上の接続待ちのため1駅歩いてしまった。そこで郡山-福島間の東北本線に直接アクセスすることでこの問題を解消できたのだが、行きがほぼ座れないという副作用があった。それでも立ち読みしながら過ごしてしまえばそれほど苦痛でもなく、この4日間で数学→AI→地図と電書3冊を読みつないだ。
G7の首脳たちが広島の平和記念公園に集い献花する姿に感動した。かつての大戦で対立した国が、原爆投下をした国が、核保有国が揃って共に平和に向き合う。岸田総理の地元という理由があってサミットという形を借りたとはいえ、この歴史的な日を素直に受け入れたい。先立つこと7年前、オバマ大統領が現職のアメリカ大統領としてはじめて訪れたことの尊さが改めて注目される。そこにゼレンスキー大統領が来日してサミットに参加するというニュースが届き衝撃だった。核ではなく謝罪は求めないと言った被爆者の想いが世界に拡がれば。
山といっても登山ではなく曳山に行ってきた。富山県高岡市の伏木曳山祭は重さ8トンにもなる山車をぶつけあうところから「けんか山」と呼ばれている。名前からして柄にもないこととは承知の上で、とある縁で参加させてもらえることになった。こんな機会は2度とないと思い、勢いに任せて深夜の高速をすっ飛ばした。とまどいいっぱいではじまった早朝から体で覚える午前中、大量の汗で法被を濡らした日中、花山から提灯山に変わる夕方、多くの見物客の前でのかっちゃ。とても書ききれない衝撃の体験、こんな日が来るとは、あ~いやさーいやさー。
民宿で目覚めた7時過ぎ、もう朝食の時間になっていた。女将さんにお願いして昨日5時にチェックインしたが、実際に宿に戻ったのは今日の1時半だった。ほぼ徹夜からの曳山だったのでもっと泥眠するかと思った。朝のうちに雨晴海岸から氷見まで往復ドライブしてから、伏木神社へ参拝。国宝に指定されたばかりという勝興寺の大きさには驚かされる。門前を下ると洒落た洋館が見えたので寄ってみると伏木気象資料館だった。伏木を離れ国道8号線で新潟に入り、フォッサマグナミュージアムを見学。糸魚川からは高速利用で20時前に帰宅。
仕事が忙しすぎて日常とは認めたくはないけど、平日になって今の自分の役割が戻ってくる。曳山はあまりにも非日常過ぎて、早くも夢だったんじゃないかと思うぐらい強烈な余韻を残している。このどうしようもない腕の筋肉痛と日焼けた顔は数日で無くなるとしても、何百年という歴史の中に自分が混ざり一部になれたことに高揚感を覚えた。例えどこで何をしていようとも自分は存在しているのだけど、伝統が続く限り自分もそこにいるような確からしさは、見聞だけでは得られないものだ。古の人々はこうして神様との繋がりを強く感じてきたんだなぁ。
信じられないことに未だに腕(上腕三頭筋)に筋肉痛・疲労感が残っている。それほど著しく体力を消耗したためか、コロナ禍以降はじめて体調を崩してしまった。鼻からきた違和感はのどの痛みとなり今も少し残っている。5類に移行したからといってもコロナかもしれないという後ろめたさを持ちつつ、休むこともままならず会津に行き、いわきに行き、福島に行き本当に忙しい1週間だった。そんなわけで平日に少しずつやってることを休日にまとめてやるしかない状態で、そろそろ梅雨に入ってしまいそうだ。早く落ち着きを取り戻したいけど、夏を過ぎるだろう。
体調・体力の回復に努めて日中でも眠気に合わせて何度か寝ているとチャイムが鳴った。不動産管理を名乗るブラウンのジャケットの男が黒のバインダー片手に挨拶に来たと言った。また空室になっている下の階で、昨日工事の音が聞こえていたからその関係と思った。端から質問で何年ぐらい住んでるのかと聞いてくるので、違うと思いはぐらかしながら扉を閉めた。とたん開け返してきてドアの内側に足を入れ、話途中じゃないですかと終始小馬鹿にしたような言い回し。体調悪いんでと擦れ声で言ってなんとか帰ってもらったが気持ち悪い。休みたい。