サイト開設から20年が経ちました。日記は5000日、写真は1200枚を超えて塵も積もれば山となりました。その背後にはもっと多く人生があって氷山の一角でしかないのですが、ここにしかいない自分もまたいるような気がしています。いつまで生きてられるのか分からないのと同じで止まらない時の流れの中で、閉じることも出来たけど戻ってきてしまう、そんな感じで続いてきました。もうずっと自分を支えるためにやってるようなものなので飾り気のない記念日になりましたが、この1年かけて整理していこうかなと思っています。ありがとうございました。つづく。
今月から職場に正社員が1人加わった。社内での言い方に決まりがあるのか知らないけど、最近は中途採用ではなく経験者採用というらしい。営業職なので部署は違うけど調査研修が必要とのことで、今日だけ講師役をした。前提として1日ではとても覚えられないし、それが求められてるわけじゃないので、質問に答えるという形でスタートしてみた。出てきたキーワードから直接的な答えとその周辺情報を織り交ぜて話を進めていった。あとは体験と補足でひと通りの説明はできた。体系的ではなかったけど個別指導としては自分も楽だったしアリかな。
ZTF彗星(C/2022 E3)を観に車で山頂まであがれる片曽根山に行ってきた。先日地元紙の1面に掲載されていたことで知り、地球に最接近する2月2日に最も明るくなるとのことだった。車の外気温度計で-7度、最大級の防寒をしながらぎょしゃ座のカペラを足掛かりに少しずつ視野を狭めて捉えていった。未明ながら月が明るく、肉眼では見えずカメラの中でも期待したようには撮れなかった。太陽系内には二度と戻ってこないらしいが、遠い将来で会えたらロマンだな。写真コンテンツの関東カテゴリから埼玉県を独立したページに分離しました。
写真コンテンツの九州カテゴリを南北に分割しました。北九州市という名前がよく認められたものだと思うけど、市もカテゴリのひとつで土地の名とは違う。同性愛もカテゴリで、その中で暮らしている人を知らなくても使える。見るのも嫌と差別発言をしたとして首相秘書官がオフレコなのに更迭されたが、首相自身は同性婚については社会が変わってしまうと国会で発言していて茶番だと思う。ほとんどの市民は名乗ることもできず社会生活を送っている。統計とられても困るけど、政令市ぐらいはいて南北に分けるのが少し面倒になるぐらい許されるだろう。
M部長が来所されて面談などをしました。そもそも今の仕事に就く道を開いてくれたのがMさんで、最初に仕事を教わったのもMさんで、はじめから目の前に目指すべき先輩社員がいたということは恵まれていたと思います。ここ何年かもやもやしてた気持ちも受け止めて理解を示してくれましたし、この先の道も示してくれましたし、本当に頼りになる上司であり先輩だと思いました。今の関係性で会うことに緊張もありましたが、ランチをごちそうになりながら昔の懐かしい話もできたし、ここ数日春めいてて、モチベーションの回復を実感しているところです。
"警報級の大雪のおそれ"と幅のある言い方で警告された本日、その範囲に東京が含まれていたから誇大広告とたかをくくっていたけど、なかなかに積もった。朝はくもりだったけど降りはじめから強くて、午前中は大丈夫だと思って出てもらった調査を早々と切り上げた。午後は別件のトラブル発生で19時半まで残業し、登山靴に履き替えて自転車を押しながら帰る。大雪警報の静かな夜道、通りが無いところだけ轍の上を走って帰宅。段差の埋まったアパートの階段を雪かきをして、車のワイパーをあげる。ボンネット上で17~18cmの積雪があった。
ベランダの縁に強飯式を思わせるほどに盛られた雪を見るのが休みの朝なら悪くない。それも太陽が午前中のうちに食べてしまったけど、冬の東北に来るなら雪景色ぐらい見て欲しかった。月曜になって唐突にもう何年も会ってない兄が来るっていうから、先約に詫びてリスケしてもらったのに、東京での積雪を理由に昨日のうちに中止に。ドサッドサッと流れてくる屋根からの落雪音を不定期に感じながら、ヒゲダンの「ホワイトノイズ」をDLしてヘビロテしていた。夕方、戻したワイパーの下にわずかの雪を残して、洗ったかのように車はすっかり綺麗になっていた。
昨日は大雪によるリスケをネガティブに表現したけど、実際にはポジティブな時間だったことを今日書く。これまた唐突に来週社内試験があることを金曜日に通知されて、この土日が最初で最後の週末になった。プライベートでの予定が不利に働くようなやり方に不公平感を覚え、試験勉強に時間が使えることになった事実が複雑に受け止められた。ただ受験案内自体が会社が自分を評価していることを示すもので、それだけで20年越しで人生のリベンジを果たした高揚感に包まれている。落ちるつもりはもちろん無いけど、振ることだって出来るんだ。
というわけでテストの告知からわずか1週間で受験の日を迎えた。同じくテストを受ける課内の3人とオンラインで連絡取り合いながら備えることが出来たので突然の短期決戦の中でも安心感はあった。足場が不安定な山で感じるのとは違う緊張を抱きつつ、事務所内の応接室に場所を移してテストがはじまる。オンラインで全国の会場を繋ぎつつ、現場では所長の監督を受けながらの45分だった。難易度や出題意図のバラつき感や文中の誤字が気になって疑心暗鬼な問題だったけど、概ね出来たと思う。辞令の形で結果を待つ数日も緊張するな。
テスト明けは解放的に行動したかったけど、不本意ながら完全インドアで過ごした。ここ数日腰痛に襲われていて、特に木曜日がひどくて席から立つのにも3段階ぐらいに体勢を変えないといけないぐらいだった。波があるので昨日のうちにおおよそは回復したけど、今日は大事をとった形だ。それにしても発生から10日以上が経つトルコ・シリア大地震の被害がひどくて、今更だけど東日本のお返しにモンベルの「アウトドア義援隊」を通じて寄付させてもらった。こんな状況でも戦争やらミサイル飛ばして殺し合い脅し合いしてる世界は本当に哀しすぎる。
今日は雨で結局2週連続のインドアな週末を過ごした。再編中の写真コンテンツについて、被写体別の各カテゴリ掲載数が100を超えないよう、植物カテゴリから花を、水カテゴリから湖沼を分離独立させた。自分地プロジェクトは一般道九州編、4度目の上陸となった沖縄断念編が進行中。台風の影響でフェリーが欠航して以来もう10年沖縄上陸作戦は遅れている。ただこれは失敗ではなく安全装置が働いただけのこと。おかげでななつ星撮れたし、のちの内之浦イプシロン計画につながる。いつか種子島にも行ってH3の打ち上げも見たい。
今の時期は毎年ナーバスだけど、今年は試験受けちゃってるから尚更だ。昨日のうちに何かしら連絡があるだろうと思っていたけど、期待は外れて身動きのとれない祝日を過ごすことになった。ちょうどお米が切れているけど下手に買い足すこともできず、2食続けてパスタを茹でた。ロシアがウクライナに侵攻して1年になるが全く先が見えない。西側の支援でウクライナが領土を奪還できればいいと思っているけど、何より核戦争などにエスカレートすることなく戦争が早く終わることを期待している。明日が分からないだけで人はこんなにも不安なんだから。
朝一で試験の結果が伝えられ、80点以上合格のところ92点だったそうだ。ただ人事異動については連絡が無く、午後になって勤務地が変わる人へ内示があったそうなので、つまり昇級ありの移動なしがほぼ確定した。一番知りたかった合否と転居の有無が分かったので、大満足ではないが気が楽になった。終業後は今月入社のWさんの歓迎会が所内で行われた。前職での勤務時間を聞くとブラックでとてもやってられないと思ったので、今の環境は恵まれてるんだなと思う。帰宅後に早速お米を買いに行くと、いつもの5kg袋が500g増量品だった。
日記を読み返す機会を作るとともに今だからこそ書けることなどを回想する新コンテンツをアップしました。伊勢神宮の式年遷宮という在り方に関心があって、この20年の節目に日記ひとつひとつに追記しながら作り変えていこうかとも思ったけど、さすがに毎日は無理だし日記が変質するのも嫌だと思って、日記とは切り離して月単位短文でやっていこうと思います。こちらもやがて山となるはず。夜、なんか揺れてる?と思ったら北海道で震度5弱の地震だった。この時期2年連続で大きい地震に見舞われているので、起きなきゃいいなと少し不安がる。
5年ぶり開催のいわきサンシャインマラソンの日ですが、三森山(656m)に登りました。うっすら雪化粧した早朝、サンバイザー越しに雪が舞う磐越道を東へ。筒木原不動尊を出て渓谷沿いに1時間以上荒れた県道を歩く。登山口の三森山神社からいきなりロープ場の急登で尾根までが結構きつい。山頂は木々の間から沿岸が福一あたりまで見えるが、風が強くて直ぐ下山。別ルートで倒木の多い谷筋を行き、県道に合流する。4時間弱の山行後、折木鉱泉のつるつるなお湯で体を温める。帰り道、運転してるとやっぱり腰が痛くなってきた。