124年ぶりに2月2日が節分だった。春分の日などと同じように太陽に対する地球の位置によるため、年によって日付が変わるそう。1984年は2月4日だったが、以来2月3日しか経験ないので暦という意識が無かった。東北では大豆より落花生を投げる家が多いことも今更ながらに知った。残業後に寄ったスーパーで確かに両方並んで売られていたが、お目当ての"売れ残り恵方巻"はひとつも無く、珍風習と嘲笑った過去を思い出して苦笑いした。フードロス回避で仕入れ量を抑えたのだろう、結局おやつにバタピー、夕飯に納豆を食べた。
10月末から3か月にわたった仕事がひと段落した。部署を超えて多方面から支援を受け感謝に堪えないが、自己・自部署嫌悪に耐える苦しい日々でもあった。今までに経験のない新しい仕事で、確立されたマニュアルなど無く刻々変化する状況に大いに試行錯誤してきた。それ故に各自の意識レベルがあからさまに暴露され、そのギャップが一番苦々しくてたまらなかった。実行段階になって指揮権が自分に移ったが、準備以前から関わっていればもっと上手くやれたという想いもあったし、スタートは同じだったはずの配下の言動には失望もあった。
登山で言えば下山をはじめたところであって仕事はまだ多く、今日も残業してしまった。両手両足を使って崖に対峙してるような多忙な時に声をかけられるとただもうそれだけで辛いのだが、その内容に意識の低さを感じると怒りを隠せないことが多くなった。許せないのは失敗ではなくて、自ら判断できる情報があるにも関わらず、自らの頭で動かないことだ。考えれば分かるでしょって口走ってしまうこともある。耐えるのもストレスだが、発散することが自己嫌悪で返ってきて結局ストレスなのだった。実務に多忙な指揮官という構造と自分にも問題がある。
こうあるべきという想いが収まらず、深夜まで反省点や改善点を書出しては考えていた。プライベート空間に仕事を持ち込むことはほとんど無いが、自分の感情すらコントロール出来ないことが悔しいんだと思う。所詮他人をコントロールすることは不可能だけど、立場が人を変えるということに期待し過ぎていたのかもしれない。特に非正規社員だった5名が正規へ転換してそろそろ1年経つが、長年の関係性から脱せないでいる。こちらが接し方を変えても、もがこうともしてないように見える。如実に開いた理想と現実の差は自分が寄り添うしかないだろう。
自分地プロジェクトの高速道路編は2011年が終了した。東日本大震災が発生し何度か東北へ足を運んだが、自分地的には三陸道が仙台から登米まで延びた程度で、この年のハイライトは秋に四国に行ったことで既通の瀬戸大橋を含め本四高速3ルートが追加されたことだった。放送期間が延びていた2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は今日が最終回で本能寺の変が描かれた。どんどん横暴になっていく信長が最近の自分みたいで辛かったけど、相手が十兵衛と知った時に激昂するでもなく納得したように涙を流すシーンに救われた気がする。
一昨年定年退職されたSさんとばったり会った。去年4月にばったり会った時と同じく、お昼を買いに行った近所のスーパーでのことだ。抗がん剤の治療はもう終わっていて元気そうだったので本当に安心した。最近イライラ続きの自分でも驚くほど嬉しくて、こんな気持ちにさせてくれる人そうはいないなと思った。緊急事態宣言が出されていた11都府県の中で栃木県だけが今日で解除された。県独自の自粛期間が続くようだし、大手を振って実家に帰れるわけじゃないけど、状況が改善されたことは喜ばしい。両親ともそこまで健康体じゃないから尚更だ。
県内で初めて新型コロナウイルスの変異株の感染確認が発表された。このところ新規感染者は日に1桁で落ち着いてきたが、新たな不安が舞い込んできた形だ。感染力が強く重症化しやすいなどと言われているし、今月中には接種がはじまるワクチンに対してどこまで有効なのかも不明だ。今日はいわきで求人関係の仕事をしてきたが、珍しく応募者は女性の方が多くて、こういったところにもコロナの影響が出ているのかと思った。もう1年近く戦っていて対策を練る時間もあったはずだが、決断の遅さがダメージを長期化させている気がしてならない。
今年度2日目の有休で昨日から4連休を過ごしている。いつもより遅く起きた平日、1か月ぶりに愛車を運転して会津に向かった。猪苗代湖天神浜で国内では珍しい現象とされる「しぶき氷」を観て、小平潟天満宮で初詣を果たした。ラーメンでも食べようと喜多方に向かうと飯豊連峰があまりにクリアに見えるので、眺望の良い恋人坂に寄って会津盆地の雪景色とともに写真に収めた。「赤れんが」でのランチ後、裏磐梯に上がり雪原と化した檜原湖をぐるりと回った。いつも撮影ポイントが分からずただのドライブになってしまう。もっと雪に近づきたい。
昼を過ぎてから高速利用で裏磐梯に向かった。金山生きがい学習施設に車を停めて、山神社まで歩いた。水没した旧鳥居が凍結した檜原湖から頭を出しており、湖面上に足を進めると薄氷を踏んでる感覚があった。快晴で気温が高いことに不安もあったがワカサギ釣りのテントやスノーモービルが行き交うぐらいだから大丈夫と思いきや、実際ズブっと沈む場所もあり足首まで濡れてヒヤッとした。駐車場に戻って、別口から再び湖面に降りて埋没林を見て回っているうちに日没が近づいたので引き上げた。23時8分、最大震度6強の地震が発生。
緊急地震速報よりも先にドン!っと突き上げるように揺れがきた。こたつでくつろいだ状態から何もできず、強まる揺れに驚きながら収まるのを待つのみだった。父親から速攻で電話が来たあと、会社の安否確認メールに回答し、緊急連絡網で部署内の安否確認を行い上司へ報告した。繋がりにくさはあったが電話に障害はほぼ無かった。ライフラインが無事なことを確認して、ズレ動いた室内を元に戻していく。幸い被害は無かったが、私上最大の激震体験に3時近くまで眠れなかった。日中は良い天気だったが余震頻発で出歩く気分では無かった。
オフィスビルの窓枠に板が打ち付けられているのを見たぐらいで、いつもと変わらぬ出勤風景だった。東日本大震災を乗り越えてきただけあって、みなさん落ち着いた様子で事務所内の棚のズレを直してから仕事がはじまった。低気圧が発達する予想から、風が強まる前に早々と暴風警報が発令され、風雨が強まったのは夕方からだった。気づくと床に水たまりが出来ていて、どうやら基礎あたりから染み出ているようだった。お昼に行った職場近くのスーパーは外壁がポロポロ崩れており、店内も天井・壁に生々しい傷跡があったが営業再開していた。
仕事で会津若松に行ってきた。週半ばの予定だったけど、地震の状況をみて延期をしていた。今年はしっかり雪が降っているので、市街地でも圧雪のガタガタ道で、嬉しいやら怖いやらの運転で帰ってきた。新幹線は今だ那須塩原~一ノ関間で運転見合わせ中ながら幸い大きい余震は起きていないし、行きつけのスーパーも営業再開して、大きな混乱なく日常に戻っていけそうだ。新型コロナについてもファイザー社製のワクチン接種が国内でもはじまり、国民一般に広がるまではまだ時間がかかるにしても、状況は大きな転換点を迎えている。
「約束のネバーランド」を読了した。名前はちょいちょい目にしていたけど、現在放送中のアニメ第2期をきっかけにして、第1期をアマゾンプライムで視聴、巣ごもり需要ってやつで昨年の「鬼滅の刃」に続いてコミックを全巻大人買いしてしまった。個人的には「鬼滅の刃」よりも面白いと思うが、ここでアニメ第2期の展開が原作と大きく違うことに逆順で気づいてしまったわけだ。コミックの中で実写版のママ役を演じた北川景子が原作に忠実な映画作品になることを条件に役を引き受けたとコメントしていたが、アニメは果たしてどう話をつなげていくのか。
自分地プロジェクトの高速道路編は2012年が終了した。大宮から宇都宮に異動した初年度だけど、地元だし同じ東北道沿線ってことで移動範囲・ルートに大きな変化はなかった。新しく利用したインターや、一部初走行の路線ももちろんあったけど今日1日だけで整備できる程度だった。ポイントを挙げるとすれば、今までは通過目的だった首都高内が野球をはじめたことで目的地になって乗り降りにも使いはじめたことだ。これで高速利用からだいたい10年分を描き終わったことになるけど、青森から福岡まで路線図だけで日本の形が浮かんでくる。
今期3度目の有休で明日まで4連休中だ。土日は巣ごもりしたが、季節外れの暖かさで室内はもったいない気がする。と思いつつ昼近くまで寝ていたし、別に土日でも出来ることしかない。まずは須賀川市の山で、車でも山頂付近まで登れるらしい蝦夷嶽へ向かった。歩いて数分で山頂、郡山方面の展望はいいが寂れている。続いて鮫川村の江竜田の滝へ。こちらは5年目の末にしてはもったいないぐらい立派な滝群で、季節を変えてまた観に来たい。東日本台風で被災した橋の復旧が待たれる。知らないだけで刺さる場所はまだまだ眠っている。
ペーパー類の在庫が無くなったのでいつも買っているカインズに行った。駐車場入るところから様子がおかしいと気づいたが、とりあえず入口まで進んだ。屋上駐車場へのスロープは封鎖されていて、店舗外店舗のマックはやっているようだったけど、本館は閉じていて、資材館が出入口になっていた。自分があまりに日常過ぎて地震のこともすっぽり抜けていたけど震度6弱の影響はやはり大きいのだった。日用品は場所を移して売られてはいたが通路におけるだけしかなく、ティッシュペーパーは買えなかった。いつまでも同じではいられない、2月ももう終わりだ。