来期の人事異動が発表になった。先月末に部門長が来所されて、異動者には内示を直接通達していたので、自分には"無い"ことは既に分かっていた。異動については希望を出さず"社命に従う"と申告してるから言える立場でもないけど、正直6年は長い。本当かどうか知らないけど「本来は異動だったのを止めた」と部門長本人が言うので心境はなお複雑だ。それに加えて3年間育ててきた主力のMさんが異動し、後任が無く1人減という衝撃の内容が追い打ちをかけた。社内から足を引っ張られている感じがして、モチベーションが下がっている。
3月にもなってようやく4日目の有休を取得して、金曜日からの3連休を過ごした。特に予定も無くてPCとスマホとテレビの3大画面にかじりつきながら、土曜日に最寄りのスーパーに行ったのが唯一の外出だった。コロナ禍に限らずもともとそんな生活なのだが、福島県内の感染者数はここ最近にわかに増加に転じて2000人を超えたし、1都3県の緊急事態宣言にはまた2週間延長の判断が下された。楽観出来ない状況だが、来年度の登山目標に隣県の山を挙げるぐらいの希望は許している。それがだめでも県内の山もまだいっぱい残っている。
外での仕事を終えて公園脇に止めていた車の中で遅いお昼を食べていた。地震発生時刻に合わせてラジオをつけ黙とうをするためだ。郡山市の防災無線でも黙とうの呼びかけがあった。ちょうど小学生たちが下校時刻を迎えていたが、震災時生まれていないか生まれていても記憶はないだろう。人間にとって10年という歳月の大きさを感じさせられる。また春が近づき、西の空に明るさを少し残す頃に帰宅時間。途中どこかで花火が鳴っているのが聞こえはじめ、自宅近くで東の空が開けると2、3輪正面に見えた。澄んだ空にはっきりと花開いていた。
先週同様金曜有休の3連休で、最寄りのスーパーに行ったのが唯一の外出だった。土曜が1日雨で、買い物は日曜という違いがあるぐらいだ。この雨というのが春を感じさせるわけだが、11日の広島に続き今日東京でも桜が開花したそうだ。新しい1年がはじまろうとしているのに、またひとつ仕事のモチベーションを下げる発表があった。来年度の勤務日程に計画的有休日というのが新設されていて、準強制的に5日有休を使うことになっていた。法的に5日使わなきゃならなくて、現に今年は無理に取ってはいるが、使う日を決められるのは違うだろうよ。
午後6時過ぎ宮城県で最大震度5強の地震があった。弱い揺れを感じた後に緊急地震速報が流れて本震が来た、先月の揺れが脳裏をよぎり、座っていたPCデスクの上段に置いてあるプリンタを押さえた。体感的にはもっと強いような気がしたが郡山は震度4だった。この程度の揺れはよくあることと言ってしまえるが、テレビをつけると宮城県沿岸に津波注意報が出ていた。幸い津波は観測されなかったが、多くの方が避難行動をとったようだった。今はいいけれど、体験ではなくて教訓が命を守る行動をとらせる社会にならなくてはいけないと思う。
1都3県に出されていた緊急事態宣言が今日を持って解除される。が、感染者数は下げ止まりから再び増加傾向にあり、不気味に拡がっている変異株の実態把握は出来ていない。緊急事態とは何なのか、そこをはっきりさせないままの解除が感染爆発の起爆剤にならないか心配だ。ここ数日で感染者数が急増している宮城県、それに連動するように山形県でも今日最多の感染者数を出し、福島県も累計死者数は100人を超えて全国平均よりも死亡率が高い。海外一般客の受け入れを断念した五輪、木曜から聖火リレーがスタートする。
五輪開催に疑問符がついたまま聖火リレーがスタートした。これが海外で開催されるのならば、いつも通りテレビ観戦者として単純に楽しめたかもしれない。傍観者でいられるならば是非やってくれと無責任に言えるが、復興五輪を掲げた大会がこんな形で始まって欲しくは無かった。「人類がウイルスに勝利した証」などと後付けの意義を「1年程度の延期」ありきで謳うからおかしくなる。出発式の一般観覧を制限してる時点で初めから負けている。自然を甘くみて対策を怠ったのが原発事故の教訓ではないのか?福島はまた東京の犠牲にされた。
須賀川市の高土山(729m)に登った。福島市ではおととい桜の開花が宣言され、平年より2週間早い春を迎えている。山の春にはまだ少し早かったが雪は全くなく、急こう配の枯葉道に足をとられながら約1時間で山頂に着いた。展望はわずかで木々の間から起点となった藤沼ダムがわずかに見えるぐらいだ。下山後に入った湖畔の温泉はぬるぬる泉質でとてもよかったが、10年前の震災時にはダムが崩れて下流に水が押し寄せ7人が亡くなり1人が行方不明という悲劇を生んだ地でもある。先週オープンした市内のリオンドールで買い物して帰った。
今回の定期異動では3名が転出し、うち2名は西日本と遠方だ。移動だけでも大変で、引っ越しとなると難しいスケジュールを組むことになる。そのため年度末を待たずに全員が揃う最後が今日だった。コロナ禍でいつも通りの送別会は出来なかったが、事務所内で1時間ほどの場が設けられた。そんな中でもギリギリまで慌ただしく荷物をまとめていたMさんとは昨日焼き肉とカフェで思いの丈は話尽くしたので、軽く挨拶をして別れた。その後7名で1時間だけといって居酒屋に移ったが、結局2時間ぐらいいて21時に店を出るまで客は本当に少なかった。