日記 2011年3月
みると
2011.03.01 (火) vol.02625

人事異動発表になりました。俺は異動なしで残留します。気にしないつもりでいて、毎年こんなにソワソワしなきゃいけないのかと思うぐらい、気になってしまいました。先が分からないってこんなに不安だったんですね。良いか悪いか別として決まったことに安堵しました。というわけで4月からも見沼区民でございます。平成22年国勢調査速報値では、人口15万7254人でさいたま市10区の中では南区に続く2番目です。増減は+4643人で、俺はその1人ということになります。家に帰ると、ポストにゼンリンの地域情報マガジンmi-ru-to[みると]見沼区版が投函されてました。

変わらぬ体制
2011.03.02 (水) vol.02626

晴れて来年度の体制が分かると、違う職場をみてるような気がした。俺の部署の内は変わらないけど、変わらないでこのままいくんだってことが、新しい体制のような気もした。そうすると今より良くならなきゃいけないって思うし、周りからはそう見られるだろうからちょっと気が引き締まる。誰がどこに動くのかっていうのは全部分かるようになってるから、知ってる人の動きもチェックする。少ない同期のメンバーはみんなそのままだったので、ちょっとほっとしたけど、その場の体制は変わるようだったので、そんな刺激が気になった。台所洗剤が変わっただけで新鮮だけど。

パセリ
2011.03.03 (木) vol.02627

朝礼の時の話で今日がひな祭りだったことに気が付いた。節分が終わったとたん、雛あられだとかのコーナーがお店に出現して、次から次へと早いもんだなと思ったのも思い出した。肝心の当日を忘れていたって別になんの影響もない。ただ、ちらし寿司を久しぶりに作って食べてみたいと思った。それも帰りには忘れてて、消費期限が昨日までだったベーコンの残りを使って、ケチャップライスを作ることを考えていた。新しい小瓶のビニルを破って、中のシールを剥がし、仕上げにパセリを振りまく。なくてもよかったけど、あるといいものに変わった。俺まだここにいるから。

魔法使いクラブ
2011.03.04 (金) vol.02628

図書館本読書も5年目にして200冊になった。「何読んでるんだ?」って職場で聞かれ、「魔法使いクラブ」って声に出すのが恥ずかしくて、「こんなんです」って顔写メでも交換する時みたいに恐る恐る表紙を見せた。何か言われる前に「(著者の青山七恵さんは)大学の後輩で芥川賞作家なんですよ」と先手を打つ。結仁(ゆに)ちゃんっていう主人公の名前にまさかと思いながら、登場する男子たちの姿形の方を想像してる自分に気付いた。他人の"好き"と自分の"好き"は違う。そんな心を煙草の煙を吸っては吐き出すようにしながら読んだ。説明なんか要らない出来ない。

HS20EXR
2011.03.05 (土) vol.02629

富士フイルムのFinePixHS20EXRを買った。俺の4代目デジカメになる。今日発売で買い替えも決めてたのに、コジマもヤマダもケーズも店頭になくて、倉庫にはあったのかもしれないけど、ディスプレイされてないことにがっかりした。ビックカメラでようやく見つけて即購入。だったら今日デビューのはやぶさを撮ってから買物すれば良かった。今日は室内でいじる。スペックはかなり向上しているけど、7年半の慣れを乗り越えるのは大変な気がしている。唯一残念なのが、シャッター後の画像確認画面で記録せずに削除する機能が無いこと。パシャパシャと実践あるのみ。

試し撮り
2011.03.06 (日) vol.02630

早速写真撮りに行くところだけど、昼過ぎてまで長いこと寝てた。落ち込みの波が来てるみたいで、正直、そんなに気分は良くない。でも、本返さなきゃいけなかったから、七里図書館に行って、1本5CD借りた。そのあと夕暮れの七里総合公園で試し撮り。外したレンズキャップが行き場も無くブラブラぶら下がってる。前のはクリップみたいにストラップに挟んで止めておけたのに。求めた反動で寂しい事もある。いいカメラを使えばいい写真が撮れるのか、どこまでが自分の力なのか、始めからそんなの無い気がした。これからの本番が楽しみなようでいて怖いようでもある。

ひとり日和
2011.03.07 (月) vol.02631

"雪" という言葉にみんなが一斉の窓の方を向いた。一面ガラス張りのはずの壁の前に、古めかしく鈍い銀色のロッカーがずらりと並んでいる。外の様子はその上方の一角に開いた隙間からしか望めない。雲に覆われた小さな空が見える。背景の白に紛れながらも雪が舞っていた。雪に変わるほど寒いとは感じずに、今朝は雨の中を通勤してきた。帰りも雨で、触れることなく溶けていった景色がもったいないと思った。去年買ってずっと読みかけだった青山七恵「ひとり日和」を読んだ。二十歳の知寿が七一歳の吟子さんちに居候して、春から春へと人生を歩いていく。

保護フィルター
2011.03.08 (火) vol.02632

久しぶりにカレーを作った。じゃがいもとにんじんが芽生えてきちゃったので、御馴染みのたまねぎに加えて、今回は挽肉と茄子をカップリングしてみた。その横でお米の計量カップが溶ろけているのに気付かなかった。鍋代わりのマルチパンが油はねガードの薄いアルミを隔ててプラスティックボディと接触していて、熱が伝わってしまった。穴が開いたからもう使えない。新デジカメにはレンズガードを装着した。光を通さないと意味がないから、反射率の低い保護フィルターを選んだ。液晶画面にも保護フィルムを貼ったので、これでファインダーを覗いて鼻がついても大丈夫。

米計量カップ
2011.03.09 (水) vol.02633

初めてコモディイイダの2階に上がる。衣料品だけしかなかったら失敗だなぁと思いながら階段を昇りきると、奥に生活雑貨の棚が見えたのでほっとした。近づいて行くとその先に懐かしい音を出す子供の遊び場があった。正直こっちが恥ずかしくなって、お目当ての米計量カップの会計を済ませるとそそくさと1階の食品売り場に戻った。お米もちょうどきれてたので、今回は群馬県産「あさひの夢」を購入。聞いたこと無い品種だったけど、例の猛暑の影響で規格外になったものを農家応援販売ということで安く売っていたので迷わず選んだ。もちろん今夜はカレーの残り。

地震メール
2011.03.10 (木) vol.02634

3時20分頃の地震メールで目が覚めた。登録地域で震度3以上の揺れが観測された場合に速報や確定後の震源・震度が届くように設定してある。昨日昼頃に宮城県北部で起きた震度5弱の地震の余震だろう。6時20分頃にも再び地震があってメールが届いた。最近寝不足だったせいで、地震を心配するより眠りを妨げられた方に気がいって、とにかくすぐ布団に戻って寝た。眠い目をこすりながら仕事を終えて帰ると、レンズフードが届いた。早速新デジカメに取り付ける。これでとりあえずの装備品も整ったので本格的に撮りに出かけたい。3夜連続カレーは最終日。

東北地方太平洋沖地震
2011.03.11 (金) vol.02635

14時46分に三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM8.8の地震が起きた。地上14階ビルの1階の職場で仕事中、徐々に大きくなる揺れにたまらずビル外に避難する。車も止った道路に人が溢れてビルを見上げていた。PC接続のネットから情報は手に入るが携帯・固定とも電話は不通。大きな余震があり、再びビル外に退避。不安の中、宇都宮の実家とは17時30分過ぎに公衆電話から連絡がついて無事を確認し合えた。電車全てが止っているせいで、バスは満車、歩く人の姿が目立つ。自転車で普段通り帰宅出来た自分は、テレビを見ながら落ち着かない夜。

未曾有の巨大地震
2011.03.12 (土) vol.02636

実家はずっと停電してるという。帰ろうかと思案するものの、断続的に余震が続いて未明に長野で震度6強の内陸型地震も発生。緊急地震速報が頻発する異常事態に、水や手回しラジオ・携帯バッテリーなどを準備したバッグを背負ったまま一睡も出来ずに朝を迎えた。実家の電力復旧と北海道・八戸の親戚の無事が伝わったものの、津波被害の甚大なる様子が明らかになってきて胸が痛む。さらに福島第一第二原発で放射能漏れの恐れが現実味を帯びてくる。未曽有の巨大地震、何も出来ないけど、全国そして世界からの救助隊や応援が我が事のように嬉しい。

震災の影響
2011.03.13 (日) vol.02637

つくばでは断水が続いてるらしい。さすがに何時間か寝て、昼まで自宅待機。自転車で図書館まで返却に行く。スーパーに寄ると、水やカップめんなどは全く無い状態だった。戻るとM8.8が9.0に修正されていた。解析の結果500×200キロの範囲で3度に渡り地殻がズレたのだそうだ。 18時には全ての津波注意報は解除になった。原発では被ばく者が出てしまったようだが、あらゆる策を講じてメルトダウンは食い止めてる。明日から計画停電が実施される。東電のHPを確認したけど、うちは2,3,4グループのどれかということまでしか分からない。とにかく頑張ろう。

計画停電始まる
2011.03.14 (月) vol.02638

今朝連絡があり、仕事は自宅待機に。計画停電による鉄道の運休等で、業務困難と判断されたようです。実際の停電は第5グループの一部が17時~19時の間で実施されただけでした。需給バランスを見極めながら、必要最低限の範囲でのみ停電させる方向だったらしい。一方、福島第一原発は11時に3号機でも水素爆発が発生。同時に津波発生の報もあり緊張が走りました。そんな情報をテレビで逐次確認しながら、部屋の掃除・整理をしていました。明日は改正パターンで計画停電が予定されてます。停電回避出来るように、引き続き節電しようと思います。

伝播する不安
2011.03.15 (火) vol.02639

業務再開。鉄道の運行区間が広がり人が集まりました。俺は自転車ですが、給油渋滞を横切り、停電中の信号機を渡り、満車に近い駐輪場に着きました。ビル内がまだちょっと怖い。仕事中も原発の状況が話題になり、念のため持参したラジオを聞く昼休み。スーパーは照明を落として節電営業中。しかし多くのものが品薄状態。生産・物流難より消費者の買い溜め行動が原因らしい。日本人は災害下での秩序ある行動を世界から称賛されたのに。放射線量が通常の何倍とか言う表現は不安を煽る。緊急地震速報が出て、22時31分に富士宮市で震度6強の地震。

被災地を越えて
2011.03.16 (水) vol.02640

周りを見ると屋根が壊れている家がわずかに確認出来た。どこまでを被災地というのか分からないけど、少なくとも自分は被害は受けていない。今日もやや強めの余震があって所内がビクっとする。俺だけかと思ったら、みんなあの時以来何かと揺れてるような感覚があるそうだ。地震以来初めてコンビニに行ったけど、スーパーと同様の状況だった。帰宅すると東京の兄宅から計画停電中で断水してるとのメール。宇都宮の実家でも今朝停電があったそうだ。うちはまだないけど、地震の影響を全く受けてないという人はほとんどいないと思う。助け合って乗り越えたい。

大規模停電の恐れ
2011.03.17 (木) vol.02641

職場で計画停電があった。今日の第3グループの停電は15時20分から19時。PCを切るなどの準備をして、あっ!と照明が落ちたのは16時ちょうど。ビルの非常灯が点くものの、オフィス内は暗く、カーテンを開けて採光しても落ち着いて仕事が出来る状況じゃなかった。今日は真冬並みの寒さで電力需給が逼迫し、大規模停電が起きる可能性があることから早期帰宅。自宅は未停電だったので18時20分からの第4グループなんだと思って、早々にごはん食べて、厚着して湯たんぽ抱えて布団に潜って消灯してテレビ見てました。結局22時まで停電なし。どうして?

暗中も策
2011.03.18 (金) vol.02642

桶川・北本両市役所に行ってきました。ガソリンの入手が困難で車を出せないため、電車と徒歩で。JR高崎線に乗るのは2001年青春18きっぷで東北一周列車の旅以来です。桶川駅で電車待ちをしてるとタンク貨車が上り方面に通過していきました。根岸製油所で石油製品を積載してから盛岡に向う救援列車かもと思ってじっと見てました。各駅周辺は計画停電で営業見合わせ中のお店と、募金活動をする人が多く見られました。職場に戻ると停電中でしたが、これを使って棚の移動作戦が行われてました。どんな状況でも、今あるリソースでやれることをやっていく。

救援物資の提供
2011.03.19 (土) vol.02643

さいたま市は昨日から救援物資の受け付けを始めている。内容を確認して家に眠っていたタオル3枚とウェットティッシュ2箱を会場の三橋総合公園に持っていった。続々と集まっているようで、渡すのにちょっと並んだぐらいだ。ポカポカ陽気の公園内は多くの人で賑わっていた。近くの国道17号バイパスにはガソリンスタンドに並ぶ車列が少なくとも500mは続いている。その横を対向する形で自転車を漕ぐ。流入する道路側にも渋滞が起きてしまっている。何が起きてるのかも分からずに巻き込まれた人達の心はどこに行くのだろう。大宮西部図書館に寄って2本7CD借りた。

戦後最悪の自然災害
2011.03.20 (日) vol.02644

地震発生から10日目、「戦後最悪の自然災害」という言い回しの出所となっている死者・行方不明者数も2万人を超えている。そんな中で石巻市で新たに2人が発見され救助された。喜ばしいニュースの裏で、リビア内戦に多国籍軍が軍事介入してミサイルを撃ち込み始めた。一方で助け合い、一方で殺し合う。ばかやろう。落ち着いて読書も出来ず、返却期限を迎えた本の延長を岩槻駅東口図書館でしてきた。 道すがらの信号機のある交差点には、停電時の事故に注意する立て看板が設置されていた。昨日今日の停電は見合わせてるが、4月いっぱいは続くそうだ。

春分の日
2011.03.21 (月) vol.02645

津波はあまりにも多くのものを奪いました。地震の前に戻れるのならどんなにいいだろうと思います。時が流れて現実を知り、痛みを抱えて生きることは辛いことです。取り戻せない悲しみに心が押し潰されたり、不安の重力の前に希望の光さえ屈して見えなくなるかもしれません。けど、そんな時こそ勇気を持って手を取り合い、暗闇の中を立ちあがってみれば、太陽が明るく照らす世界が変わらずにそこにあるはずです。何が起きるかは誰も分かりません。ただ振り返り待つのではなく、前を向いて歩いて行けば、それが道となり新たな今が拓かれるのだと思っています。

降って湧いたベクレル
2011.03.22 (火) vol.02646

暫定基準値を超える放射線量が福島の原乳や茨城のほうれん草から検出され、出荷停止となっている。仮に日本人の平均摂取量で1年間食べたとしても健康被害がない程度の安全に安全を見越した値だという。今日それを口にしたからといってほとんど影響はないだろうし、ましてそれを1年分食べるなんて事はあり得ない。暫定基準値も放射性物質も外部から突然降ってきた農家の方々にはどうしようもないことで、せめて今収穫されてる一袋ぐらいは買って食べたい。まさに茨城県産のほうれん草が冷蔵庫に入っていたけど、今夜のサラダを最後にしばらくお預けだ。

慌てず冷静に
2011.03.23 (水) vol.02647

いくらか強引に左折していったタクシーの後を直進しようとしたら、対向右折車も割り込んで曲がってきた。急に止ったせいで次のひとこぎでガガっとチェーンが外れた。職場に近い交差点だったので、駐輪場まで押していってその場でかけ直した。少しでも応援しようと茨城県産のピーマンとレタス、栃木県産のニラ、埼玉県産のトマトを買ってきて夕飯にする。ひび割れてたティーポットは遂にガラスが欠けたので使い物にならなくなった。前に使ってた茶漉しを取って置いてよかった。だけど今度は東京で水の放射線量が乳児に対する暫定基準値越え。姪のことが気になる。

電力復旧長期戦
2011.03.24 (木) vol.02648

計画停電のグループ分け最新版によるとさいたま市見沼区は全域が第3グループに変わっていた。未だに停電になってなかった自宅が何グループなのか分かってなかったのですっきりした。職場も同じ第3グループなので、仕事中に停電・家でも停電というパターンは避けられそうだ。地震により停止していた東扇島火力発電所が再稼動して、供給量が増えたこともあって計画停電は夕方から夜にかけての一部で実施される状況に改善されてきた。ただ復旧が進んでも盛夏の需要には全く足りないそうだ。自宅の冷房はどうでもいいけど冷蔵庫、職場、お店は困るなぁ。

送別会が出来るということ
2011.03.25 (金) vol.02649

地震による死者が1万人を超えた。阪神大震災が起きた日、200人以上が亡くなってると先生から聞いた時の衝撃は今でも覚えている。今回も早い段階から数百人の遺体が海岸沿いの地区で見つかったというニュースが飛び込んできてショックだった。だけど哀しいかな、あまりに多くて死という感覚から離れてしまう。警察が発表している死亡が確認された人のリストに目を通した。同世代の幼い親子と見られる名前もあり、失われた未来を思うと胸が締め付けられる。そんな気分でもないけど、今日は職場の送別会。年度末の繁華街はいつもと変わらないように見えた。

納豆と牛乳を買う
2011.03.26 (土) vol.02650

タバコ臭いスーツとワイシャツをクリーニングに出しました。ついでにスーパーに行くと納豆と牛乳があったので地震以来初めて買えました。開店から1時間も経ってない朝のこの時間ならまだ置いてあるんですね。でも数は少なくて、仕事帰りのタイミングで寄るしかない平日に手に入れるのは無理だって分かった。だから最後の1つに手をつける時の様に、買っちゃっていいものかどうか躊躇しました。高いし、普段はこんなにいないだろうというぐらい客がレジに並んでたし、これを買占めと言うのではないかと。でも地震前からこの2つは常に買っていたの、だから1個だけ。

節電試合に新カメデビュー
2011.03.27 (日) vol.02651

今季初観戦で川崎の等々力球場に行ってきました。湘南新宿ラインが早楽コースですが、震災以来運休してるので、乗り継ぎ乗り継ぎ武蔵小杉から等々力緑地まで歩きました。昨年の多摩川ウオーキングで対岸に見えてたかの地です。神奈川大会自体初観戦ですが、春季地区予選は総当りのリーグ戦でこれも初です。さらに今年は節電で、アナウンスと電光掲示が無し。ベンチ横に簡易スコアボードが掲示されてましたが、俺も新カメラのデビュー戦だったので、1から覚え直しで、試合には全くついていけませんでした。延長かと思いきや9回引き分け。勝ち点1。

春を迎えるまで
2011.03.28 (月) vol.02652

朝から余震で、宮城県沿岸に津波注意報が出た。まだまだ油断は出来ないけど、東京で桜が咲いた。大宮公園の桜も今にも開きそうな蕾で、薄紅色のオーラを纏ったようになってる。先週から屋台の準備も着々と進んで、園内路を埋める程に出揃ってきた。関東大会後から工事をしていた県営球場から警備員とプレハブの現場事務所の姿が消えた。こうやって春が来るんだと、埼玉1年目を終える今やっと知った。昨日一足先に神奈川で春季大会を新カメで撮ったけど、慣れるって時間がかかることだと思った。変わり映えしないボケた写真ばっかりで悔し恥ずかし。

カズのゴール
2011.03.29 (火) vol.02653

加須行ってきました、嬉しくない理由で。そして約束をすっぽかされ、エネルギーを返せ、とこんな時だから余計に思いました。ただガソリンも普通に給油できる状態に落ち着いてきました。だから車で移動したんですが、震災後県北の方に来るのは初めてでした。こちらも屋根が壊れてる家がちらほらあって、それは古い民家の瓦に限られ、新しい家はソーラーパネルの設置率が高いと感じました。今、命をかけて原発で作業している方々がいる中で、原発の是非について議論する段階ではないと思いますが、サッカーチャリティーマッチでゴールを決めたカズの力は凄い。

桜が咲いて涙が出た
2011.03.30 (水) vol.02654

大宮公園の桜が咲き始めました!花見を自粛する動きがあるようですが、ありのままに咲く花を心のままに見ればいいと思います。今日は毛呂山まで行きました。菜の花もあちこちで咲いてきてます。カーラジオでもACのCMが流れていましたが、震災でスポンサーが自粛した結果ACばかりになったテレビCMも少しずつ変化してきてます。自分たちに今出来ることは日常に戻っていくことではないでしょうか。節電はしなきゃいけないけど、痛みを分かち合いながらも、落ち込んでいても何も始まらないのです。世界は繋がっていて、今ここの力がいつかどこかで力になる。

春雷明けの年度末
2011.03.31 (木) vol.02655

春雷に見舞われた昨晩に続き、今日も不安定な天気とのことで傘を持って出勤する。今日で最後という人もいる中で、自分たちの仕事は区切りがないもんで、いつもはない終礼を除いては日常だった。ただ、今日が金曜日のような気がしてならない。週末の予定まだ組んでないから、少し時間が欲しい。途中でライトを点灯させることなく夕暮れと競争するように帰宅すると投票所整理券が届いていた。来月10日は統一地方選、県議市議選がある。場合によっては期日前で済ませたい・・・。「脳で旅する日本のクオリア」「笑う脳」茂木健一郎2連読で今年度はおしまい。