なんとなく梅雨空で今年も下半期がスタート。2週間前に借りた本の返却期限日で、案の定読み残した1冊は夜中と午前中使って読んで、午後図書館に行きました。さて、最近、運転する前に愛車を拭いてから乗るようにしてます。職場で朝一にお掃除タイムがあって、これはいいかも、と取り入れてみたものです。畑の隣の野ざらし駐車場で待機してる愛車プレオ君、きっちりワックスをかける効果も怪しく、週に1回乗るか乗らないかの頻度でボディを拭き重ねていってちょうどいいのかもしれません。水垢取りスプレーを買ったので今月は毎週磨きがかかる予定です。
銀行に寄って帰る予定が、たまたま仕事中にあって用が済んだので直帰した。自宅のあるアパートの横、自転車置き場への途中で窓の向こうに人だかりを見つけて、「あぁそうか、またか・・・」とため息をついて、そのままコンビニまで逃げた。この春からこの時間、高確率で彼女たちはいる。近くの学校の生徒が寮代わりに何部屋か使っていて、放課後におしゃべりしているのだ。楽しい時間なのは分かる。でも、入り口の集合ポストの前で・・・その間を会話を途切れさせながら通る、何度も何度も・・・。部屋にたどり着いて落ち着いたら、ごはんも食べず寝てしまった。
気がつくとジーッとセミが鳴いている。梅雨の曇り空も湿度こそ高く蒸すものの、気温はさほどもなく案外いいものかもしれない。去年の夏はそう思えなかった・・・ちょうど1年前、山口県を中心に四国・九州もひっかけて2週間の旅に出た。前日に仕事を辞めたばかり、開放感を旅に託した。ところが晴れた記憶はほとんどない。記録的豪雨もあって、全国的にも雨や曇りの多い夏だった。おかげで甲子園代表が出揃うのもかなり遅れた。でも、そんなことも忘れて盛り上りはやってくる。人生の転機も一体どう流れてるかわからない。現場ごとの天気がある。今日も明日も・・・
大学周辺の学生アパート街を歩いた。雨の日は田舎より街中の方が調査しやすいとのことで、梅雨用に残してある地域の一つだ。外に出れば濡れることに変わりはないものの、お店があって雨宿りや休憩場所が確保できるということらしい。お昼代を節約してる自分は持参したおにぎりの行方に困ったあげく、隙をついて陰で立ち食いし、喫茶店で読書休憩をした。冷ややかなアイスコーヒー1杯。生活が薫る混沌とした学生街が力強く、遠く懐かしく、近い幻想でもある。いまだ延長線上を漂いながら、金属製カップの表面に現れた水滴、それが現実の涙を映している・・・
夏季賞与の日だと知ったのは、朝礼で支店長が社長メッセージを代読した時だ。明細の手渡しで名前が呼ばれていって、最後まで分からなかったので、やはり期待するべきではなかった。そりゃ、もらえるならもらいたい、だけど、仲間はずれにされたような気持ちが、3年前と同様、もっと寂しかった。それを吹き飛ばすほどの天気の中で調査した後、残業をしてPCのセットアップをした。一度壊れて、HDDから入れ換えたがうまく動かない、そんなところで俺に回ってきた。ドライバに原因があって直すことができた。「助かった」と、残業代を今回のボーナスにしておこう。
調査・製作には正社員は別として、準社員・パート・アルバイトの区分があります。俺含め準社員は5名いて、パートさんが1名、バイトはいません。準社といっても、前職の会社では同じ位置・待遇でパートAという名称だったので、正社員とそれ以外はそんなものです。それに当然、人は役職によりません。俺はパートのIさんを尊敬します。パートは最長で1年間と決まっていて、それをうちの支店ではじめて満了して来週で最後になります。それもさることながら、彼が現実に沿った、つまり夢ではない目標をしっかり持って自信をもって語れることです。今日は送別会でした。
夏目漱石の「こころ」を読みました。この月曜からお昼休憩に1時間ずつ読んで来ましたが、足りずに、次も控えているので、週末を充てて読みきることにしました。クライマックスまできて、いつかの教科書で既に読んだことがあるのに気づきました。長いから全部扱うわけにはいかないにしても、そういうのってどうなんだろうか。今日から夏の大会が茨城で開幕しましたが、それもクライマックスでしょう。全く同じように思うのです。何冊か読んできたノンフィクションの野球本は背景が描かれるから面白いんで、どうしようもない矛盾を感じて、そこに立ち止まってしまうのです。
「これは行かないな」って気がしながら、観戦に行く予定でした。水筒に麦茶をつめました。そしてやっぱり、そこにうずくまって一歩も動けないんです。どうしていいのか、何がしたいのか分からなくて。そうしてる間にもクライマックスは過ぎていくのに、部屋でひとり苦しさだけが胸に投げ込まれるのです。近づきたいのに同時に離れたいのです。そしてその両方が怖いのです。間に立って楽しむだけのことすら怖いのです。それに打ち勝ってなお意味を見出せないのです。でも、また来週は行くつもりで、そのために愛車をピカピカに磨きました。ひとつの答えにはなるだろうと。
Iさんは今日が最後だった。とにかく人手の要る仕事だから、全体的な進行は厳しくなること必至で、だいぶ前から募集もかけてるんだけど入ってこない。条件がきつい。Iさんと最後の帰り道に俺は自分自身を含めてこう言った。「はっきりいって、この仕事できるの、あぶれもんだけですよ。」冷静に考えると全くそうだと思っていたので、自然と口を出た。そして以前、求人雑誌社との原稿打ち合わせでの会話を思い出して悲しくなる。「むしろ経験者じゃない方がいいんですよ。手の抜き方を知ってるから。」初心者歓迎。先のない仕事。Iさんは1年間満了して去っていった。
「道が分からないですか?」川沿いのある集落で、おじさんに声をかけられた。道幅が狭く袋小路の多い昔ながらの場所だったので、迷い込む人が多いのだろう。あるところまで歩いていって、立ち止まって確認して、また引き返す。そういった仕事上の動きが、土地に不案内な者のように見えたらしい。確かに地図でも持っていなければ、自分もこの古い迷路にはまるだろうことは容易に想像できた。そして、地図を見ながら地図を作るおかしさにふと気づく。整備された展望台からお決まりの景色を写真に収めているような感覚に近い。だからパイオニアはすごいと思う。
小高い丘にある小学校からお囃子が流れてくる。地域のお祭りの練習でもしているんだろうか。俺の生まれたところは郊外の住宅街だったので、そういった伝統的習慣はなかった。代わりに、比較的新しく作られた「ふるさとまつり」が毎年夏休み、小学校の校庭で行われることになっていた。日中は各町内のこども会が競う創作みこしコンテストで、夜は盆踊り大会だった。祭り衣装に身をつつむわけでもなく、興奮やら熱狂なんてものはないし、個人的にも冷めてる方だったから、この手の行事にはメンドクサガリだった。それが今、太鼓や笛の音を聞いて、ウラヤマシガリ。
三島由紀夫「仮面の告白」を読みました。返却に間に合わせるためにちょっと急ぎ足でしたが、俺も仮面をしてる方なので人並みにこの心理は理解できたかと思います。正直、初っ端からビクビクさせられたぐらいです。ここでの「正常」という立場を装うために俺は「無関心」というトンネルを通ってきました。今思えばそれは過剰だったので、結局「異常」に暗く長いのでした。窮屈な思いをした上に、抜け出た地点ではもう、最高の瞬間を逃しているのです。眩い光に真っ白になった視界に映った解放の喜びは、慣れるに従ってそんな後悔へと変化し、もう味わえないのです。
その道を通って向こうに見える家までたどりつくことが使命である。雨上がりに草の膝の高さまで生え揃った小道を行った俺が、登山を志願した俺が、ここでは立ち止まった。犬の放し飼いは行かなくていいと言われている。しかし、そこにいたのは自然の鳥である。ムクドリの大群が送電線にとまっているのだ。アスファルトがどうなってるか想像していただきたい。そして、雨でもないのにポトポト音までしている。そうだ、雨でもないのに傘を持っているではないか。尊い犠牲であった。いや、無事だった素晴らしい。でも、愛車についていた。台風かぁ、クソッ!ついてない。
新潟を経由して日本海側を北上、山形の酒田光ヶ丘球場に着いたのは試合の直前だった。我ながら出来すぎのペース配分。心配された台風の影響はほとんどなかったが、風雲急を告げる最終回、野球はドラマティックに展開する。胸の高鳴りを響かせつつ、6年ぶりに訪れた酒田市の観光。庄内米の集散地として栄えた山居倉庫、庄内平野と最上川の大パノラマ眺海の森、そして、酒田港を望む高台に広がる日和山公園。明治の木造六角灯台が、その白にライトアップを重ね着て、夕暮れに次なる人生を輝かせている。その下に導かれるようにふたりは出会った。
初パンクを旅先で。昨晩、今いる道の駅にたどり着く前になってガタが来て、左リアがペシャンコ。保険会社に連絡すると、すぐに業者を手配してくれ、明朝改めるとのことで、スペア交換だけしてもらった。明け方、強風に揺れる車内にいる不安からか、遠く離れて見えない地元がやけに心配になる。早朝、隣の温泉で時間に漬かりつつ、台風ニュースを注視する。結局、愛車の履いてるタイヤは在庫がない上に廃盤が発覚し、酒田市内の専門店でなんとかする。予定のない予定を変更し、最上地方へ回り出す不揃いなタイヤたち。杉と蕎麦と杉と公園トラブリング新庄。
1689年6月3日、芭蕉と曽良はここ本合海で乗船し最上川を下ったとある。それを追う最終日。台風一過の青空、というには少し足りないが、ようやく晴れた。川は茶色の濁流となって最上峡を流れていく。「五月雨を 集めて早し 最上川」芭蕉の詠んだ情景はどれほどだったろうか。道の駅とざわ、白糸の滝を過ぎて、上陸の地は清川。ここから羽黒山へと向かう。杉並木を両手に2000を超える石段が続く参道。南谷に寄って、出羽三山神社へ参拝。月山、湯殿山はまたの機会にしよう。鶴岡から先は帰りの高速路。あっとゆーまの3日間。いつも旅の終わりは切ない・・・
ETCの深夜割引を使うために最後のICを0時過ぎに出るつもりだったとはいえ、実際に帰宅できたのは2時30分を過ぎました。休憩取っても寝るわけにいかないし、夜の高速は単調で眠いし、とにかく無事に着いてほっとしました。PAに寄る度に自販機で飲み物買ったり、音量上げてラジオ流してみたり、ガム噛み噛みしたり、窓全開で顔に風を当てたり、太ももつねってみたり、ツボ押ししてみたり、目覚まし運転とでも言っておきますが、居眠り運転と言いたくないだけで、危険走行だったのは間違いありません。愚かでした。俺ももう若くない。戒めのために書いておきます。
旅の事後整理をしつつ、サイトの方には早速photoとBallParkをアップしました。高校野球的には突然の山形遠征になりますが、最近は観光と組み合わせるパターンもありだと思ってます。今年に入って銚子・沼津・横浜なんかがそうです。自分の趣味は基本的に場所を選ばない。どっちがきっかけになったとしても、行きたいときは自然に行くんです。各地にある観光地と同じように各地に熱戦がある。そして違いも。その試合では2回に流れる両校の校歌に対戦校のスタンドからも手拍子があって、おや?っと思いました。お互いに敬意を表している。今まで気づかなかった。
養老孟子先生の「超バカの壁」を読みました。「バカの壁」「死の壁」の続編です。読書をはじめて以降、言うまいと決めているので余計なことは言いませんが、自分はかなり影響があったと思います。ものさしによって世界はガラリと変わる、カオス-フラクタル理論、自然は複雑で「ああすればこうなる」式では出来ていない、実は社会もそうなんだけど、社会問題の正しい答えをシステムのどこかに探し出せると思っている。小さい物差しで多様性を細かくケアするのも大事。大きい物差しで全体のルールをまとめ上げるのも大事。フレキシブルなバランス世界。無理か・・・。
ズッコケて階段から落ちました。もう地面に降りていると思って、歩き出した次の一歩が、最後の一段の上で空を切り、完全に踏み外したのです。気づいたら、調査図面をばら撒いて前かがみに倒れてしまいました。片手は常に使えない状態で、足元への注意が散漫になると、こういう危険があります。大きな水溜りに気づかずに足を踏み入れたこともあります。そして、傷こそなかったものの、地面についた左手首を痛めました。というか、昔からここおかしいんです。関節だからこれ以上曲がらない点があるのは当然として、その手前で痛む。ちょっと骨がずれてる・・・?
旅後のいろいろで、1週間も日記をためたのははじめてじゃないかと思う。さすがに苦しい。正直言って火水木あたりは、ひねり出して書いた感じです。いつの間にか毎日分の日記を書くようになったけど、もともとそれは結果です。結果がついてくると、それを伸ばしてみようかなと意識するようになって続ける。習慣になって繰り返される。毎日の生活の中での出来事も、あ、これは今日の日記のネタになる。と、その場で自然と組み立てる。また別の出来事があって、変化していく。些細なことを感じ、形にする。特別何もない日だって書けてしまう。例えば今日のように。
パンク騒動に続きがあった!旅先でタイヤ交換をしたお店から連絡があって、実は間違ったサイズのタイヤを取り付けていたことが判明。もはや山形には戻れないので、こっちの別店舗で無料交換をしてもらうことに・・・。さらに、不具合がないか念のため点検に行ったディーラーで、どれだけ危険だったかを知らされた。左リアだったのでFFなら問題なかったのですが、愛車は四駆なので、走行中の回転差を吸収して動力分配をするデフが働きっぱなしになって、熱を帯び、火災の危険があったそうなのです。そういえば焦げ臭い時あったんだよなぁ・・・生きててよかった。
朝礼係が回ってきました。旅先で感じた台風のことを話そうかと考えてたのですが、昨日のタイヤの件に切り替えました。そのまんまを話せばよかったので、今回はうまく出来たと思います。さて、仕事で車の運転をするにあたって必要な「運転記録証明書」が申請先から届いたので、今日提出しました。一応、ここまで公には無事故無違反です。それで「SD(Safe Driver)カード」がおまけでついてきました。これを持っていると、いろんな場所で割引などの優遇サービスが受けられるようになっています。だけど、業務上で運転をするリスクはとてもおまけどころじゃない・・・
突然の夏空。梅雨入り宣言後、空梅雨と言われた晴天もつかの間、曇りや雨の日が続き、平年に比べ梅雨明けが遅れています。日照時間も極端に少なく、野菜高騰につながっているとニュースでやっていました。ある意味調査はやり易かったのですが・・・雲ひとつない快晴、なのに大気や大地が暖まっていないせいで、30度には届かなかったようです。それでも暑いので、夏休みに入ったこどもたちが、近くのプールではしゃいでる声が聞こえてきます。公園では野球をしてる子たちもいました。今、大人になって、夏を夏として楽しんで、遊べたらいいのに、そう思う。
社員証がない。恐るべき事態が発覚したのは、調査を終えて職場に戻ってきてからだった。勤怠管理の打刻カードと調査中の身分証を兼ねているため、ワイシャツと調査用ユニフォームとを着替えるたびに左胸に付け替える。最初は慣れなくて、何度も忘れそうになったし、左胸にクリップで引っ掛けるだけなので、ふとすると落とすこともあった。そして今日、調査中に落としてしまったらしい。すぐに言えないまま、家に帰ってから、車に飛び乗って、今日歩いたところ、落としていそうな場所に行って探した。そこで見つかれば、打刻忘れだけで・・・ない、ない、ない・・・
自分でなんとかしようとして、全てが裏目に出た。苦しい一晩が明けて、出勤すると、間髪入れずに打刻漏れを指摘される。自ら報告するより先に言われて、後出しになってしまった。それが一番ダメなパターンだと、改めて叱られる。みんなフォローしてくれるんだけど、臨時の調査証を首にぶら下げて現地へ行っても、地に足がついていない。それでも歩いているうちに、徐々に楽になってきて仕事で取り返そうなんて思えるようになった。職場に戻ると、社員証再発行の手続き。結局こうなっては、自分に何の力もないんだから、昨日逃げるんじゃなかった。始末書を書く・・・
ここ数日の晴天、照り付ける太陽、朝からすでに暑い。今日はヤバそうだ。はじめて日焼け止めを塗って仕事に行くことにした。既に茶色い肌を守るためではなく、体力の消耗を少しでも低減するためで、帽子も久々に被った。水筒にいれて持ち歩いてる麦茶も、結局は足りずに、途中で水分補給をよぎなくされる。おにぎりも限界かもしれない。出費を抑えたいけど、下手すれば冗談抜きに体が壊れる。タイミングよく買えるわけでもなく、事前に用意して歩くにも重いしあつい。タイミングよく木陰になってる公園等のベンチを見つけては休憩をとる。向かい風が心地いい・・・
5時、自然に目が覚めると、また社員証を探しにいきました。失くしたのは自分の責任。それがとても悔しくて、まだ気になる場所が残っていたので、そこを見ないうちは気が済まなかったのです。でも、なかった・・・これであきらめます。帰ってまたひと眠りしました。すると庄内特産の砂丘メロンが2個届きました。タイヤ交換をした例のお店が、取り付け間違いのお詫びとして送ってくれたものでした。もちろんお礼の電話をしました。助けてもらったのは自分なのに、むしろ申し訳ないです。1つは今日が食べ頃と書いてあったので、夕立後にバイト先にもっていきました。
なんだかやけに眠くてグダグダしちゃって、ようやく投票に行きました。そして、図書館に行って3冊借りました。ちなみに「超バカの壁」(養老孟司著)以降は、「ヤンキース流広報術」(広岡勲著)「八重山商工野球部物語」(神田憲行著)を読みました。相変わらず野球本を読んでるのに、この夏の観戦は山形での一戦のみで、続々と決まってくる代表校の一覧を見るぐらいが接点で、あとはほぼ抜け落ちてます。だからグダグダ言う資格はないのですが、政治も投票のときだけでは本当は名前書けないはずなんですよ。でも、結果は出ます。それだけなら簡単なんです。
怪しいほどの涼しさの中を、調査に出ました。天候が崩れるというのは予報から分かっていましたが、開始わずか1時間ほどで雷が唸りだし、これは危ないなと思っていたところで、自転車に乗った女性に道を聞かれました。帰り道を変えたら迷ったというのです。インターチェンジ下の複雑な場所でした。説明してる間にも大粒の雨が降り出して、勇敢にも出て行った彼女の後、高架下で雨宿り。街路灯が点いて、やがて激しい雷雨。道路の隙間から落ちてくる雨水の飛沫が風に乗って全身が濡れてきます。かれこれ2時間以上も動けないまま、撤収が決定。寒かった・・・
7月の終わり、雨上がり。昨日は土用の丑の日で、スーパーに買物に行くと、かなり「うなぎ」を推していました。外にテントまで張っていて、おいしそうな香りにつられて食べたくなるんだけど、とても手の出せる値段じゃありません。ちょうどもらったナスを焼いて食べるのが昨日今日のごちそうです。そうそう、もらったメロンの残り1個は職場に持って行きました。それにしても、平賀源内恐るべし。時代を超えてすごい影響を与えている。以前、調査中に出会った旅好きのおじさんは、四国でお遍路さんをして、弘法大師の力を感じたそうです。でも、日々歩くのが全てです。